醤油(しょうゆ)の通販は日本一しょうゆの岡直三郎商店へ

日本一醤油 岡直三郎商店

 


町田の街と商業の歴史 ~醤油醸造元 岡直三郎商店 ~

 安政六年(1859年)横浜港が開港すると、町田市域は長野、群馬、山梨、八王子などの産地から横浜港へ生糸を運ぶ“絹の道”の中継地として栄え、次第に地方からも商人や職工が多く集まり、この地に移り住むようになりました。
明治41年に現在のJR線が横浜~八王子間で開通、「原町田駅」が出来、大正2年の町政施行で町田村が町田町となり、昭和2年に小田急線が開通すると町は活況を帯び、醸造業、製糸業、製材業、染物業などの商工業が登場してきました。
 その一つで現在も町田市に本社を構える醤油製造業の(株)岡直三郎商店は、天明7年(1787)群馬で起業し、大正8年に原町田で「河内屋」の屋号で開業しました。


現在の小田急線町田駅東口側に約6,000平方メートルの敷地の醤油工場を設立し、当時の、小田急線の駅のホームに立つと、醤油の芳ばしい香りがたちこめ、乗降客の間で評判になったというエピソードが残っています。
正月2日初荷を前に揃いの法被を着た従業員一同の記念写真。(昭和33年)
正月2日初荷を前に揃いの法被を着た従業員一同の記念写真。(昭和33年) 
醤油工場の煙突の向こうに、小田急新原町田駅の駅舎とプラットホームが見えます。(昭和29年頃)
醤油工場の煙突の向こうに、小田急新原町田駅の駅舎と
プラットホームが見えます。(昭和29年頃)
 第2次世界大戦、戦後の復興期、高度経済成長を経て、町田は都心に近かったこともあり、人口が急増。駅を核とする商店街、大型デパート等が出来て街は活況を呈すると共に変貌しました。


昭和33年に、町田、鶴川、忠生、堺の4町村が合併して町田市が誕生。遡る昭和29年には、町田町から中心街の発展のために工場敷地の有効利用を懇願され、(株)岡直三郎は森野に移転することになります。この原町田の工場跡地(約5,000㎡)が現在の町田中央商店街で、市内有数の繁華街を形成し、町全体の隆盛に大きく貢献することとなりました。
工場の移築が完了し、醸造機械、設備等が運び出されます。仕込みに使う「八尺桶」も慎重に、ボンネットのトラックに積まれていきます。(昭和30年頃)
工場の移築が完了し、醸造機械、設備等が運び出されます。
仕込みに使う「八尺桶」も慎重に、ボンネットのトラックに
積まれていきます。(昭和30年頃)
移転先の森野には、工場をそのまま移築したため、全てが完了するまで長い年月が費やされました。使用していた機械設備等の引越し作業を終え、ようやく昭和32年に本格的に事業を再開。


「ホンタマ醤油」の文字が書かれた長いコンクリート塀、直径約140cmの太い煙突から絶え間なく白い煙が吹き上がる光景は、町田の人々に長く慕われました。
諸味(もろみ)を圧搾機にかけて、しょうゆを搾り出す工場内の作業光景。当時年間7,000石(126万リットル)の醤油を生産していました。(昭和34年頃)
諸味(もろみ)を圧搾機にかけて、しょうゆを搾り出す
工場内の作業光景。当時年間7,000石(126万リットル)
の醤油を生産していました。(昭和34年頃)


その後、平成5年に簡易裁判所、合同庁舎の建設誘致のため、市からの要請で、旭町に再び移転。

現在、醤油の仕込作業および醸造工程の大半は群馬県大間々工場で行われていますが、原料にこだわり、伝承の製法を守っていまなお木製大桶で仕込み一年余り醗酵熟成させた天然醸造の醤油は、町田市推奨の名産品として、多くの人に愛用されています。


左より、トマトドレッシング 150mlゆずポン酢 150ml日本一スパイス 80g

インフォメーション

■ 連絡先 ■

《本社》
東京都町田市旭町1-23-21
電話:042-722-2024 FAX:042-722-2270

《大間々工場》
群馬県みどり市大間々町大間々1012
電話:0277-72-1008 FAX:0277-72-1016

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